私はどちらかと言えば日本車が好きなのだが、ほんの一時期だがBMWに乗っていた時期もある。
そのため、どちらにも優劣はないと思っている。
が、各種メディア(特に評論家)やネット掲示板等では、「欧州車(ドイツ車)以外は車じゃない。特に日本車はゴミ以下」という論調が幅をきかせている。
中には明らかな嘘で、日本車を誹謗中傷する者もいる。
そんな現状を見る中で、日本車と欧州車はどうやって競ってきたのだろうか、という疑問をもった。
今回は、1970年代から2020年代にかけて、それぞれの年代の代表的な車種や技術を紹介しつつ、両陣営の進化と競争を見ていこう。
日本車と欧州車、それぞれに魅力があり、長年にわたって競い合ってきた。
欧州車は伝統やブランド力、高級感を大切にし、走りの良さや個性的なデザインでファンを魅了。
一方、日本車は信頼性や燃費の良さ、コストパフォーマンスの高さで世界中のドライバーに選ばれてきた。
1970年代は欧州車が日本市場でも注目され始めた時期だ。
でも、日本車も手頃な価格と壊れにくさを武器に世界へと進出し、どんどんシェアを伸ばしていった。1980年代には技術力を高めてスポーツカーや高級車でも欧州車に挑戦し、1990年代には本格的に高級車市場へ参戦。気がつけば、欧州車と互角に戦える存在になっていた。
2000年代に入ると、欧州車はプレミアム路線を強化し、日本車は環境技術をどんどん進化させる。2010年代には、日本車のハイブリッドが普及する一方で、欧州車はディーゼルとEV(電気自動車)にシフト。そして2020年代に入ると、EV化や自動運転技術の発展が加速し、日欧の競争は新たなステージへ。
では、1970年代から2020年代までの欧州車と日本車の競争の流れを振り返り、それぞれの進化や戦略の違いを紹介していこう。
1970年代:欧州車礼賛の始まりと日本車の挑戦
欧州車の台頭とブランド価値の確立
1970年代以前、日本市場ではアメリカ車が高級車の代名詞だった。
戦後の日本ではキャデラックやリンカーンといった大型アメリカ車が成功者の象徴として、日本車はまだ小型で質素なクルマが主流だった。
しかし、1973年の第一次オイルショックを契機に状況が一変する。
燃費の悪い大排気量のアメリカ車が敬遠され、環境規制への対応が遅れた結果、日本での輸入車の人気はアメリカ車から欧州車へと移行した。
欧州車はもともと日本市場では一部富裕層に受け入れられていたが、オイルショック以降、より実用的でコンパクトな車が求められた結果、フォルクスワーゲン・ゴルフやBMW2002、メルセデスベンツの小型モデルが注目されるようになった。
特にフォルクスワーゲン・ゴルフは実用的なコンパクトカーとして人気を集め、大排気量のアメリカ車に代わる存在として急成長を遂げた。
このゴルフは今でも根強いファンがいる。

1970年代後半には日本も貿易摩擦の緩和策として輸入車販売を奨励し、1978年には完成車関税を撤廃。
この施策と円高の進行が相まって、輸入車の販売台数が増加した。
こうして、欧州車は日本市場で急速に拡大し、「欧州車=高級・高品質」というイメージが作られていった。
この時期、もう一つの重要な要因が「スーパーカーブーム」だ。
1970年代後半、フェラーリ、ポルシェ、ランボルギーニといった欧州のスーパーカーが若年層を中心に爆発的な人気を博し、子供たちの憧れの的となった。
漫画『サーキットの狼』やテレビ番組『対決!!スーパーカークイズ』などが火付け役となり、日本国内ではスーパーカー消しゴムやカードが流行。
スーパーカーショーが各地で開催されるほどの社会現象となり、欧州車のブランドイメージ向上に大きく貢献した。


日本車の対抗策:信頼性と実用性でシェア拡大
一方、日本車はまだ「安価で壊れにくい大衆車」のイメージが強かった。
しかし、日本の自動車メーカーは実用性を追求し、経済性と耐久性の向上に力を入れることで、欧州車とは異なるアプローチで市場を開拓していった。
特にアメリカ市場では、日本車の小型で燃費の良い特性が支持され、1975年には米国の輸入車販売台数の51.8%を日本車が占めるまでになった。
トヨタ・カローラ、ホンダ・シビック、日産・サニーといったモデルは、低燃費でありながら信頼性が高く、故障が少ないことが評価され、北米市場での存在感を高めていった。この時期に形成された「日本車=壊れない」というイメージは、後の国際市場での成功の礎となる。

スポーツカー市場でも、日本車は欧州車と対等に戦うために打って出た。
1969年に発売された日産フェアレディZ(ダットサン240Z)は、欧州スポーツカーと遜色ない性能を持ちながら価格が手頃で、北米市場で爆発的なヒットを記録。イギリス製の伝統的なスポーツカーに対して、信頼性とコストパフォーマンスで優位に立ち、「240Zの登場で英国のオープンスポーツカーは時代遅れになった」と評されるほどの影響を与えた。

トヨタは1967年にトヨタ2000GTを発表。
これは、日本車が高性能車市場で初めて欧州車に挑戦した象徴的なモデルだった。
2000GTは最高速度220km/hを実現し、アストンマーティンDB5やポルシェ911といった欧州の名車と肩を並べる性能を誇った。
さらに、映画『007は二度死ぬ』でボンドカーとして登場し、日本製スポーツカーの国際的な知名度を一気に引き上げた。

日本車はこのように、欧州車の高級・スポーツカー路線とは異なる方向性で市場を開拓。信頼性とコストパフォーマンスを武器に実用車としての地位を確立しつつ、一部のスポーツモデルで欧州車と対等に競争できる実力を示し始めた。
欧州車 vs 日本車:1980年代の競争と進化
欧州車のブランドイメージ確立と市場拡大
1980年代に入ると、日本経済は著しい成長を遂げ、バブル景気へと突入する。
人々の所得水準が上がる中で、高級車への需要が急増し、ステータスシンボルとしての輸入車人気が一気に高まった。特にメルセデス・ベンツやBMWといったドイツ高級車は、この時代に「高級車の代名詞」としてのブランドイメージを確立することとなる。
メルセデス・ベンツは「最も信頼性が高く、頑丈で豪華なクルマ」として広く認知され、「ベンツ一台分の値段」という表現(当時で1,000万円ほどらしい)が生まれるほど、一般層にもその価値が浸透した。
バブル期の日本では、中間層までこぞってメルセデスを求め、特に小型モデルの190E(「小ベンツ」)は爆発的に売れた。560SELのような大型サルーンは「成功者の象徴」となり、最高級の乗用車として君臨した。

BMWもまた、「駆け抜ける歓び」というキャッチフレーズのもと、スポーティで洗練された走りを武器に人気を拡大。
E30型の3シリーズは若いビジネスマンに支持され、都心ではあまりに多く見かけることから「六本木のカローラ」とまで呼ばれた。(ちなみに190Eベンツは「赤坂のサニー」)
さらにアウディも「クワトロ」技術を搭載したモデルでスポーティなイメージを確立し、ブランド価値を高めた。

ポルシェやフェラーリ、ランボルギーニといったスポーツカーも、この時代に確固たるブランドイメージを確立する。ポルシェ911は「究極のスポーツカー」として広く認知され、930ターボは「公道最速」の称号を獲得。
フェラーリやランボルギーニは依然として少数の富裕層向けの車だったが、その希少価値ゆえに特別視され、スーパーカーブームの影響もあり、日本国内でも高い人気を誇った。

欧州車と日本車の差別化
日本車が品質や信頼性を向上させた一方で、欧州車は「伝統」「風格」といったブランドイメージを強化した。特にメルセデス・ベンツは頑丈なボディ構造と安全性能を武器に、「本当に良いものを選ぶ人のためのクルマ」として位置づけられた。BMWはハンドリングや走行性能の高さを強調し、アウディは先進的な技術をアピール。こうした差別化戦略により、欧州車は単なる「移動手段」ではなく、所有すること自体が価値のあるブランドとして認知されるようになった。
日本車のブランド確立への挑戦
1980年代、日本車メーカーも欧州車に対抗するべく、本格的な高級車・スポーツカーの開発に着手した。トヨタ、日産、ホンダといった大手メーカーは、欧州車に匹敵するブランドイメージを確立するため、フラッグシップモデルの投入に力を入れる。
日本車の高級車市場への参入
日本車メーカーはこの時期、国内市場向けに高級車を開発し、欧州のプレミアムブランドと競争しようと試みた。トヨタはクラウンの改良を進めるとともに、より上級のモデル開発を計画。日産は1988年に初代「シーマ」を発売し、3ナンバーサイズの大型ボディとV6ターボエンジンを搭載した豪華な仕様で人気を博した。「シーマ現象」と呼ばれる社会現象を巻き起こし、日本車が高級車市場でも競争できることを証明した。

ホンダも1985年に「レジェンド」を投入し、英国ローバー社との提携を活かしながら、FF駆動による広い室内空間や上質な装備を備えた高級車を生産。これにより、日本車メーカーも高級セダン市場で存在感を示し始めた。

スポーツカー市場での躍進
高級車市場だけでなく、スポーツカー市場でも日本車の台頭が顕著になった。
日産は1989年にR32型スカイラインGT-Rを復活させ、グループAレースで圧倒的な強さを見せつけた。その高性能ぶりは「ゴジラ」と呼ばれるほどで、国内外のスポーツカー市場で注目を集めることとなった。
その成績、何と29選29勝、29連続ポールポジション。
文字通り圧倒的な戦績といえるだろう。

マツダはロータリーエンジンを搭載した「サバンナRX-7」を開発し、軽量かつハイパワーなスポーツカーとして世界的に評価を得た。
プアマンズポルシェという、良いんだか悪いんだかよくわからない呼ばれ方もあるが。

1980年代後半から1990年代初頭にはトヨタ・スープラ、スバル・インプレッサWRX、三菱ランサーエボリューションなど、世界市場で戦える国産スポーツカーが続々と登場し、日本車のスポーツカー技術が一気に躍進する時代となっていく。

欧州車 vs 日本車:1980年代の総括
1980年代は、欧州車がプレミアムブランドとしての地位を確立し、日本市場でも「成功者の象徴」として認識された時代だった。
メルセデス・ベンツやBMW、ポルシェなどがブランド力を強化し、安全性や走行性能、豪華さをアピールすることで高級車市場を独占。
一方、日本車も高級車市場に本格的に参入し、シーマやレジェンドといったモデルで欧州車と競争できる存在になった。
また、スポーツカー市場ではスカイラインGT-RやNSX、RX-7などが登場し、日本車の技術力が欧州の名車と肩を並べるレベルに達した。こうして1980年代は、日本車が欧州車に本格的に挑戦し、高級車・スポーツカーの両分野で競争が激化した時代になった。
欧州車 vs 日本車:1990年代の競争と進化
欧州車の技術革新とブランドの深化
1990年代に入ると、欧州車メーカーはさらなる高級化と技術革新を推し進め、プレミアムブランドとしての地盤を固めていった。特にメルセデス・ベンツ、BMW、アウディといったドイツの高級車メーカーは、洗練されたデザインと高度な技術を融合させ、これまで以上にブランド価値を高めた。
メルセデス・ベンツは、この時期に「Sクラス(W140)」を発表。
頑丈なボディ、安全性を重視した設計、先進技術の導入により、「世界最高のサルーン」と評されるようになり、現代に至ってもSクラスといえばW140と評する人もいる。

BMWも「7シリーズ(E38)」で高級車市場における競争力を維持し、スポーティな走行性能をアピール。アウディは「A8」にアルミ製スペースフレーム技術(ASF)を導入し、軽量かつ剛性の高いボディを実現した。


この時代の欧州車は、単なる高級車ではなく、「先進技術の象徴」としての位置づけを確立。電子制御システムやエアバッグ、トラクションコントロール、ABS(アンチロック・ブレーキ・システム)など、安全技術の分野でも日本車との差別化を図った。
また、スポーツカー市場においても、フェラーリ「F355」やポルシェ「993型911」など、伝統を受け継ぎつつも革新的な技術を取り入れたモデルが登場し、スポーツカー文化を牽引した。
日本車の高級車市場への本格参入
1990年代、日本車メーカーはついに欧州車に本格的に挑戦する。トヨタは1989年に北米市場向けに「レクサス」ブランドを立ち上げ、フラッグシップモデル「LS400」を発表。
CMでは、ボンネット上にシャンパングラスをピラミッド状に積み上げた状態で車を時速240kmまで加速させてもグラスが倒れない、という驚異的な静粛性・安定性を見せつけた。
メルセデス・ベンツやBMWに匹敵する品質を持ちながら、価格は半額」と評され、市場に衝撃を与えた。

日産も「インフィニティ」ブランドを創設し、「Q45」を投入。V8エンジンを搭載し、豪華な内装を備えたこのモデルは、高級車市場における日本車の存在感を高める役割を果たした。また、ホンダは「アキュラ」ブランドを通じて「レジェンド」や「NSX」を販売し、特にNSXはスーパーカー市場でフェラーリやポルシェと競争できる水準の性能を実現した。まぁ、諸説あるが…。

さらに、日本国内市場ではトヨタ「セルシオ」、日産「シーマ」、ホンダ「レジェンド」が販売され、高級車市場を形成。これらのモデルは、欧州車と同等の品質を持ちながらも、メンテナンスの容易さや高い耐久性を武器に支持を広げた。
日本車のスポーツカー市場での躍進
1990年代、日本車のスポーツカー市場は黄金時代を迎えた。日産「スカイラインGT-R(R32、R33、R34)」は、当時のレースシーンで無敵の強さを誇り、世界中のスポーツカーファンから「ゴジラ」と称賛された。
トヨタは「スープラ(A80)」を発売し、3.0L直6ツインターボエンジンによる圧倒的なパワーとチューニングの自由度の高さで人気を集めた。ホンダの「NSX」は、アルミモノコックボディとミッドシップエンジンレイアウトを採用し、スーパーカー市場での日本車の地位を確立。マツダは「RX-7(FD3S)」を発表し、軽量ロータリーエンジンを搭載したピュアスポーツカーとして評価を得た。


三菱も「ランサーエボリューション」、スバルは「インプレッサWRX」を投入し、WRC(世界ラリー選手権)での活躍を通じてブランド価値を高めた。これらのモデルは、欧州のスポーツカーに引けを取らない性能を持ちつつ、比較的手の届きやすい価格で販売され、日本車のスポーツカー文化を世界的に拡大させる原動力となった。


日本車の品質向上と欧州市場への挑戦
1990年代、日本車メーカーは北米市場だけでなく、欧州市場でも競争力を高めるために品質向上を図った。特にトヨタは、「プリウス」を発表し、世界初の量産ハイブリッド車として環境技術の先駆者となった。欧州メーカーがディーゼルエンジン技術に注力する中で、日本車はハイブリッド技術を武器に新たな市場を開拓した。

品質評価の面でも、日本車は欧州車に並ぶ水準に達した。米国J.D.パワーの品質調査では、レクサスがメルセデス・ベンツやBMWを抑えてトップに君臨し、日本車の信頼性が世界的に認知されるようになった。
1990年代の総括:日本車 vs 欧州車の競争激化
1990年代は、欧州車と日本車がそれぞれの強みを生かしながら競争を繰り広げた時代だった。
こうして振り返ってみると、バブル崩壊の影響はあれど、本当に元気な時代だったんだなと思う。
欧州車はブランド価値を強化し、安全技術や快適性を向上させることで高級車市場を維持。
一方、日本車は品質向上と価格競争力を武器に市場シェアを拡大し、スポーツカーやハイブリッド技術の分野でも欧州メーカーと競争を繰り広げた。
この時代の競争の結果、日本車はもはや「安価な実用車」ではなく、「世界トップレベルの技術力を持つブランド」としての地位を確立したといえよう。
欧州車は高級市場の地位を守りつつ、日本車の挑戦に対抗するためにさらなる革新を求められることとなった。こうして、1990年代の競争は、次の2000年代へと続く新たな局面へと突入していく。
2000年代:欧州車のプレミアム化 vs 日本車の環境技術強化
欧州車のブランド戦略と技術革新
2000年代に入ると、欧州車メーカーはプレミアム市場での差別化を一層強化した。メルセデス・ベンツ、BMW、アウディといったドイツメーカーは、ブランド価値をさらに高めるべく、最新の安全技術や快適装備を次々と投入した。
欧州車は先進技術を惜しみなく投入するというイメージも間違いではない。
メルセデス・ベンツは「Sクラス(W221)」を発表し、レーダーセンサーを用いたアクティブクルーズコントロールやプリクラッシュセーフティシステムを採用。BMWは「iDrive」と呼ばれる統合インフォテインメントシステムを導入し、運転支援技術の進化を促進した。アウディは「LEDヘッドライト」や「クワトロシステム」の強化を進め、スポーティなプレミアムカーとしての地位を確立した。

また、ポルシェは2002年にSUV市場に進出し、「カイエン」を発表。これにより、ポルシェはスポーツカー専業メーカーから、高性能SUV市場のパイオニアとしても認められるようになった。
一方で、フォルクスワーゲンは「フェートン」を投入し、超高級セダン市場に挑戦。(結果はさんざんだったが…)
ダイムラーはマイバッハブランドを復活させ、最高級サルーン市場での競争を加速させた。

日本車の環境技術と市場戦略
2000年代、日本車メーカーは環境技術を武器に新たな市場を開拓した。
トヨタは「プリウス」を進化させ、世界初の量産ハイブリッド車としての地位を確立。
エコ意識のアピールやガソリン高もあり、2005年には米国市場でもプリウスブームが巻き起こり、有名人(いわゆるハリウッドスター含む)もこぞってプリウスを購入していた。
日本はエコカー先進国として認められるようになったといえよう。
トヨタはプリウス以降もカムリやレクサスRXなどハイブリッドモデルを拡充し、環境技術で優位性を維持。現代では、ほぼ全ての車種でハイブリッドの設定があるようになった。
ホンダも「インサイト」を投入し、低燃費技術で市場の先駆けとなった。
一方、欧州メーカーは当初ハイブリッド技術を軽視し、代わりにクリーンディーゼルの開発に注力。特にフォルクスワーゲンやメルセデス・ベンツ、BMWはディーゼル技術の改良により、CO2排出量の削減を図った。
このように、2000年代は欧州車がプレミアム市場でのブランド強化に注力する一方、日本車が環境技術で市場をリードした時代だった。
スポーツカー市場とモータースポーツ
スポーツカー市場では、日本車が本格的な逆襲を開始した。
日産は2007年に「GT-R(R35)」を投入し、ポルシェ911に匹敵するパフォーマンスを実現。ニュルブルクリンクでのタイムアタックでは、GT-Rがポルシェ911ターボの7分38秒を上回る記録7分29秒3を出し、欧州勢に衝撃を与えた。
その後、ポルシェとひと悶着あったのだが、真相はいまいちはっきりしない。
ポルシェ側曰く、GTRはセミスリックタイヤを履いていたとか、スペシャルチューニングをしているとか。
ポルシェ側が買ったGTRは7分54秒だったということだが、GTRと911ターボにそこまでの差があるのかというとそれもまた疑わしいという説もある。
(ヨーロッパお得意の、日本が勝つと言いがかりをつけてくるというやつの可能性も0ではないし)
何にせよ、その後も記録を塗り替えながら、一進一退の攻防を繰り広げたことは確かだ。

また、レクサスは「LFA」を発表し、スーパーカー市場に参入。ホンダもNSXの復活計画を進め、スポーツカー市場での日本車の存在感を高めた。

モータースポーツでは、フェラーリやルノーがF1でチャンピオンを獲得し、アウディはル・マン24時間レースで圧倒的な強さを示した。一方、日本メーカーもF1に挑戦し、トヨタやホンダが参戦。しかし、優勝には至らず、欧州勢の優位性が続いた。
欧州車に対する評価の変遷と日本車の逆襲
2000年代、日本における「欧州車礼賛」の風潮は徐々に変化し始めた。かつては「ドイツ車は日本車よりも格上」との認識が一般的だったが、日本車の技術進化により、状況は変わりつつあった。
特に高速安定性や動力性能の面では、日本車が大幅に進化し、「欧州車だから優れている」との固定観念が揺らぎ始めた。レクサスLSや日産R35GT-Rの登場により、走行性能でも日本車が欧州車と肩を並べるようになった。
この流れは2010年代にさらに顕著になり、欧州車と日本車の競争はより激化していくこととなる。
2010年代:欧州車のEV戦略と日本車のハイブリッド覇権
欧州車のEV戦略とディーゼル危機
2010年代に入ると、欧州車メーカーは環境規制の強化に対応するため、ディーゼル技術や電動化を推進した。フォルクスワーゲンは「クリーンディーゼル」を掲げ、多くのモデルにディーゼルエンジンを搭載。メルセデス・ベンツやBMW、アウディもディーゼル技術を向上させ、燃費性能を改善した。
しかし、2015年にはフォルクスワーゲンの排ガス不正問題(ディーゼルゲート)が発覚し、ディーゼル技術への信頼が揺らぐこととなる。

これを機に、欧州車メーカーはEV(電気自動車)への移行を加速。メルセデスは「EQ」ブランド、BMWは「iシリーズ」、アウディは「e-tron」シリーズを展開し、本格的なEV市場の開拓を進めた。

また、高級車市場ではベンツは「AMG GT」、BMWは「BMW Mシリーズ」を次々に投入し、プレミアムブランドの競争がさらに激化。ポルシェは「タイカン」を発表し、電動スポーツカー市場に参入した。


日本車のハイブリッド技術の躍進とEV市場の開拓
日本車メーカーは2010年代もハイブリッド技術で優位性を維持した。トヨタは「プリウス」の改良を続けるだけでなく、「カムリ」「RAV4」などにもハイブリッドモデルを投入。ホンダも「クラリティ」シリーズでEVや燃料電池車(FCV)に挑戦した。


また、日産は「リーフ」を発表し、世界初の量産EVとして市場を開拓。EV技術において、欧州メーカーを先行する形となった。

スポーツカー市場では、スバル「WRX STI」やトヨタ「86」、マツダ「ロードスター」など、ドライビングプレジャーを追求したモデルが登場。ホンダも「NSX(2代目)」を発表し、ハイブリッドスーパーカーという新たなコンセプトを提示した。


日本車の進化
従来は、ドイツ車は高級車・スポーツカー市場で圧倒的な支持を得ていたが、日本車の品質向上と技術革新により、その優位性が揺らぎ始めた。
特にハイブリッド技術では日本車が先行し、燃費性能で圧倒的な評価を獲得。さらに、日産リーフの登場により、EV市場でも日本車の先進性が強調されるようになった。
プレミアムブランドの競争においても、レクサスが北米や中国市場で成功し、JDパワーの品質評価でトップを獲得。トヨタやホンダがF1やWEC(世界耐久選手権)などのモータースポーツで成果を上げ、日本車のブランド力が向上していった。
2010年代後半には、欧州車と日本車の競争軸が「エンジン性能」から「電動化技術」へとシフトし、日本車が先行する領域が増えていった。これにより、「欧州車=先進的」という従来のイメージが見直されるようになり、日本車の技術力が再評価される時代へと突入した。
2020年代:EV化競争と自動運転技術の発展
欧州車のEVシフトと自動運転技術
2020年代に入ると、欧州車メーカーは完全EV化を本格的に推進し始めた。欧州連合(EU)が2035年までに内燃機関車の販売を禁止する方針を打ち出したことで、メルセデス・ベンツ、BMW、アウディ、フォルクスワーゲンなどはEVシフトを加速。「メルセデスEQ」「BMW iシリーズ」「アウディe-tron」などのEVモデルが市場投入され、従来のガソリン車・ディーゼル車からの移行が進められた。

また、自動運転技術の開発も加速し、テスラに対抗する形で「レベル3自動運転」技術を導入するメーカーが増加。特にメルセデスは2021年にドイツでレベル3の認可を取得し、自動運転技術で先行する姿勢を示した。

日本車のEV戦略と水素エネルギーへの取り組み
日本車メーカーも2020年代に入り、EV市場へのシフトを強化。トヨタは「bZ4X」、日産は「アリア」、ホンダは日本国内で「e」、北米向けに「プロローグ」を発表し、EV市場での存在感を高めた。一方で、トヨタとホンダは燃料電池車(FCV)にも注力し、「ミライ」「クラリティFCEV」などを開発。


また、自動運転技術においてもトヨタが「レクサスLS」に高度な運転支援システムを搭載し、日産は「プロパイロット」を進化させるなど、欧州勢に対抗する技術開発を進めている。
日本車の台頭
2020年代は、EV市場を巡る競争が本格化し、欧州車と日本車が新たな戦いへと突入している。従来、日本市場では「欧州車=高級・先進的」というイメージが強かったが、日本車の技術革新が進むにつれ、その図式が変化し始めた。
特にEV分野では、日産リーフが早期に市場を開拓し、トヨタのハイブリッド技術も評価されている。加えて、日本車はFCVや自動運転技術でも存在感をアピールし、技術面での優位性を確立しつつある。
こうして2020年代は、EV・自動運転技術を軸に、欧州車と日本車の競争が新たなステージへと移行し、ブランド価値の変化が見られる時代となった。
特に欧州では、環境政策によりEV化を進めようとしたのだが、中国の安いEVによる攻勢を受けて苦戦を強いられている。そのせいか、2025年現在ではEVを発表したかと思えば、エンジンに回帰したりと若干迷走しているように見受けられる。
今後どんな技術ができてどんな車が出てくるのか、非常に楽しみだ。
まとめ
1970年代:欧州車礼賛の始まりと日本車の挑戦
1970年代、日本市場では高級車といえばアメリカ車という時代が続いていた。しかし、1973年のオイルショックを契機に、燃費の悪いアメリカ車の人気が低下し、代わって燃費性能に優れた欧州車が注目されるようになった。特にフォルクスワーゲン・ゴルフやBMW 2002、メルセデス・ベンツの小型モデルが実用的な選択肢として日本市場に浸透した。
一方、日本車メーカーは信頼性と経済性を武器に市場を拡大。トヨタ・カローラ、ホンダ・シビック、日産・サニーなどが海外市場でも評価され、日本車の品質向上とともに輸出が拡大した。スポーツカー市場では、1969年に日産フェアレディZ(ダットサン240Z)が登場し、欧州スポーツカー市場に衝撃を与えた。
1980年代:欧州車のブランド確立と日本車の進化
1980年代に入ると、日本のバブル景気に伴い欧州車の高級ブランドイメージが確立された。メルセデス・ベンツやBMWは「成功者の証」とされ、特にメルセデス・ベンツ190EやBMW 3シリーズが「六本木のカローラ」と呼ばれるほどの人気を誇った。
一方、日本車も高級市場への進出を本格化し、トヨタは1989年に北米で「レクサス」を立ち上げ、日産は「インフィニティ」を、ホンダは「アキュラ」を展開。さらに、スカイラインGT-R(R32)やNSXなど、欧州車に匹敵するスポーツモデルを投入し、日本車の高性能化が進んだ。
1990年代:欧州車のプレミアム化と日本車の世界市場拡大
1990年代には、欧州車メーカーはさらに高級路線を強化。メルセデス・ベンツSクラス(W140)、BMW 7シリーズ(E38)、アウディA8などが登場し、ブランド価値をさらに高めた。また、ポルシェ911やフェラーリF355といったスポーツカーが進化し、走行性能と快適性を両立する方向へシフトした。
日本車はこの時代に世界市場での地位を確立。特にレクサスLS400は北米市場で高級車の定義を変え、日産シーマやホンダ・レジェンドなども国内市場で成功を収めた。スポーツカー市場では、R33/R34型GT-Rやスープラ、RX-7などが登場し、日本車が高性能車市場でも確固たる地位を築いた。
2000年代:欧州車のプレミアム化 vs 日本車の環境技術強化
2000年代に入ると、欧州車メーカーはプレミアム市場での差別化を強化し、メルセデス・ベンツ、BMW、アウディは最新の安全技術や快適装備を投入した。ポルシェはSUV「カイエン」を発表し、高性能SUV市場を開拓。フォルクスワーゲンは「フェートン」を投入し、超高級セダン市場に挑戦した。
日本車は環境技術を軸に市場を拡大。トヨタは「プリウス」を進化させ、ハイブリッド車の市場を開拓。ホンダは「インサイト」を投入し、燃費技術で市場をリードした。また、日産GT-R(R35)が登場し、ポルシェ911に匹敵するパフォーマンスを誇った。
2010年代:EV市場の開拓と技術競争の激化
2010年代には環境規制の強化を背景に、欧州車メーカーはEV(電気自動車)へのシフトを加速。メルセデスは「EQ」、BMWは「iシリーズ」、アウディは「e-tron」を展開し、本格的なEV市場の開拓を進めた。
日本車は引き続きハイブリッド技術で優位性を維持し、トヨタは「プリウス」、ホンダは「クラリティ」などを展開。日産は「リーフ」を発表し、世界初の量産EVとして市場を開拓した。スポーツカー市場では、スバルWRX STIやトヨタ86などが登場し、ホンダもNSX(2代目)を発表した。
2020年代:EV化競争と自動運転技術の発展
2020年代に入ると、欧州車メーカーは完全EV化を本格的に推進し始めた。EUが2035年までに内燃機関車の販売を禁止する方針を打ち出したことで、メルセデス・ベンツ、BMW、アウディ、フォルクスワーゲンなどはEVシフトを加速。「メルセデスEQ」「BMW iシリーズ」「アウディe-tron」などが市場投入され、EV市場が本格化した。
一方、日本車メーカーもEV市場へのシフトを強化。トヨタは「bZ4X」、日産は「アリア」、ホンダは「プロローグ」を発表し、EV市場での競争力を高めた。さらに、トヨタとホンダは燃料電池車(FCV)にも注力し、「ミライ」「クラリティFCEV」などを展開。
自動運転技術においても、トヨタは「レクサスLS」に高度な運転支援システムを搭載し、日産は「プロパイロット」を進化させるなど、欧州勢に対抗する技術開発を進めている。
欧州車と日本車の競争の変遷
1970年代以降、欧州車と日本車はそれぞれの強みを活かしながら競争を繰り広げてきた。欧州車は高級車市場でのブランド価値を高めつつ、走行性能や先進技術を進化させた。一方、日本車は品質向上と燃費技術の強化により、世界市場でのシェアを拡大してきた。
特に2000年代以降は、環境技術や電動化が主要な競争軸となり、日本車がハイブリッドで優位に立つ中、欧州車がEV化へと舵を切った。2020年代にはEV・自動運転技術を軸に、新たな競争が展開され、ブランド価値の変化が進んでいる。
今後も欧州車と日本車の競争は続き、環境技術やデジタル技術の進化が新たな決定要因となるだろう。
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