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車の性能が良すぎると逆に運転が楽しくない6つの理由

AT車
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最近の車は高性能になってきている。
10年、20年前とは比べ物にならないだろう。

そんなときにふと思ったのが、高性能すぎて運転がつまらないってことがあるのだろうか、ということだ。
個人的なひねくれものの意見だが、私はそう思う。

もちろん、高性能化によって、大多数のドライバーが恩恵を受けているのは事実だ。
それに対して楽しくなくなった、などと言っているのは私のようなごくごく一部のひねくれものだけだということは自覚している。
それでも、今回の理由を聞いて、確かにそうかな?とか、実は自分もそう思っていたんだ!とかちょっとでも共感してもらえれば嬉しい。

その理由を見ていこう。

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1.そもそも性能を引き出せない

高性能な車だと、こと走りの点においては、そもそもその性能を全て引き出すことができない。
極論を言えば、軽自動車のスペックで大体の道は普通に走れるわけで、300馬力も400馬力も必要があるわけではない。

EVだとかハイパワーエンジンなどは、0-100km/h加速が3秒台、4秒台という車も少なくないが、そんな加速を使う場面がどれほどあるのかどうかも疑問だ。
もちろん、加速こそ全て!という楽しみ方もあるのだろうが、特に日本の道では普段の運転では使う機会はないだろう。

昔、新車情報という番組で、ランエボ8を取り上げた時レビューの中でこんな言い回しがあった。「公称280馬力のエンジン、リミッターを外せば300馬力を超えるだろうというターボチャージャー付のエンジンで100km/hを守りなさい、というのはやや拷問に近い」。
もちろん、ランエボがつまらない車というわけではないのだが、ハイスペック=楽しい、ロースペック=つまらないというわけではないということだ。

むしろ、低パワーの軽自動車の方が、エンジンパワーを使いきれるし、ちょっとシフトをミスして回転数が下がり過ぎたら全く加速しなくなる、みたいなことが起きる。
いかにも車とドライバーが頑張ってます、といった楽しみ方と言えるだろう。

2.完全に予想通りに動く

高性能な車はほぼ完全に予測した通りに動いてくれる。
これは、安全性や快適性を向上させるもので、間違いなく必要なことであり、最優先事項だ。
しかし、そのうえであっても運転の楽しみということに焦点を絞ると、それを損ねる一因にもなっている。
これらの車は、あまりにも完璧な動きをするため、予期せぬ動きが生じにくい。
例えば、高いグリップレベルやトラクションコントロール等により、ほぼすべての状況で安定した走行を維持する。
ワインディングなどでも、多少無理な速度で曲がっても、完全にオンザレール、全く揺れない、といった感じだ。

ドライバーは車の挙動を予測し、そうなるように操作する、上手くいかなかったら微調整する、という運転の楽しみがあるが、それがなくなってきている。
車がドライバーの期待に応えることは望ましいが、ドライバーの腕で何とかする場面が減少することで、運転の満足感が損なわれる可能性がある。
そうなるともはや、運転はルーチンワークのように感じられ、ドライバーがアクティブに関与する余地が少なくなってくるわけだ。

これは、以前、スバルのレヴォーグに乗った時に痛いほど感じたことだ。
半端じゃなく出来が良い。
まさに、どんなカーブでもどんな速度でもぐいぐい曲がり、それでいて全く揺れない。
一昔前の超高級車はこんな風なのだろうという感覚だった。
しかし、それゆえにドライバー側が何も判断する必要がなく、横Gがかかるような刺激もなく、退屈そのものだった。

3.操作の過剰な簡素化

運転操作の簡素化は、運転のアクティブな側面を減らし、ドライバーが関与することがなくなってしまう。

オートマチックトランスミッションが99%を占めるようになり、車側で最適なギアを選んで効率的に変速し、ドライバーはほとんど介入する必要がなくなった。
これにより、ギアチェンジのタイミングや方法を自分で選ぶ機会が減って、運転が単調になりがちだ。

また、ステアリングやブレーキのアシスト機能ももはやついているのが当たり前になってきた。
運転を楽にするのは、大多数のドライバーにとっては歓迎すべきことだし、必要なことだろうが、自分で運転をしたいという少数派にとっては余計なお世話になりうる。
運転の楽しみ方の一つに、車側のエンジンの音や振動を目安に変速したり、路面状況を見てステアリングやペダルを操作するなど、一体感を持って操作するということがある。
自動化によってこれらが取り除かれると、運転は単調で無味乾燥なものになりがちだ。
ドライバーが車の動きを直接コントロールすることで得られる満足感や達成感は、自動化された運転では得られにくい。
性能が良すぎて操作が簡素化された車は、確かに移動手段としては超優秀だが、運転する楽しさがあるかというと、やることが少なすぎて退屈になりうる。

4.加速がスムーズ過ぎる

最近の車は、低速からトルクが出て、なおかつフラットトルクで、どの回転数から踏んでも加速していってくれるという味付けがされているものが多い。
これは、エンジンの個性や変速の楽しみが、やや減ってきているとも取れる。

特に電気自動車(EV)は滑らかでフラット、かつ大トルクでの鋭い加速が可能だが、エンジン車のように、回転数の上昇やギアの変化に伴う感覚がなくなってしまった。
また、ディーゼルエンジンや、ターボを積んでいる車も、おおむねトルクがフラットで、かなり広い回転域で最大トルクを発生させられるので、回転数管理が雑でも加速してくれる。

さらに高性能な車となると高速でも安定しており、速度感を失いやすく、速く走っているという一種の高揚感のようなものもない。

このような加速感は、乗りやすさという点ではとても重要だ。
しかし、ドライバーがエンジンの回転数をいかに外さないか、昔ながらの楽しみが減ってしまった。

5.静粛性が高い

最近は静粛性も高くなっている。
これも良し悪しで、確かに快適性という点ではなくてはならない要素だ。
しかし、エンジン音、排気音、風切り音、さらには路面からの小さな振動まで、これらは無ければ無いで寂しいものでもある。

特にスポーツカー乗りや運転の純粋な楽しさを求める人にとって、このような静粛性は運転の満足感を損なうことにもなる。
エンジン音や排気音が盛大に入ってきて、それで初めて運転した気になれる人も一定数いるものだ。

6.運転が受け身になる

自動運転やアシストシステムが発達して、車が道路状況を分析し、運転の多くの側面をコントロールしてくれるようになった。
これにより、ドライバーはステアリングや加速、ブレーキングといった基本的な運転操作から手を離すこともでき、もはや運転をしなくても済むようになってきている。

こういった技術は、運転の技術だったり、車との一体感を重視するドライバーにとっては、運転の楽しみ減らすことに他ならない。
車は自分で動かしてなんぼ、という人にとっては、自動化されると運転は楽しみではなく、ただの移動手段に過ぎなくなる。

安全性と快適性は計り知れない価値があるが、それによって運転のアクティブな楽しみが減ってしまう。
だから、自動運転などのアシストが余計なお世話と感じることもある。

それに、これらの機能がどんなに優れていても事故は起こるので、過信することはできない。
結局最後は人間が判断して操作しなければならない。
こういう便利機能にどっぷり浸ってしまうと油断が生じ、とっさの判断も鈍るのではないだろうか。
事実、過信しているのか知らないが、スマホ(笑)運転をしているキ〇ガイが後を絶たない。

まとめ

最近の車は、10年20年前とは比べ物にならないくらい高性能化が進んでいる。
加速のレスポンスも鋭くなり、スムーズに途切れることなく加速し、ハンドリングもリニアだし、車体剛性も上がって安定感がある。

しかし、それで操る楽しさも上がったのかというと、そうとも限らないというのが、一部の運転好きの意見だろう。
高性能すぎて、かえってつまらなくなった、という意見もあるくらいだ。

その中でも、せめてMTで操る楽しさくらいは残してほしいものだが、それもEV化でかなわぬ夢なのだろう。
一部でEVで疑似MTの研究もしているようなので、それに期待したい。

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